Kiwi、ミャンマーで労働強化刑

ヤンゴンでバーを経営するニュージーランド人が、ヘッドフォンをかけたサイケな仏像の画像をフェイスブックに載せて仏教を侮辱したとして、共同経営者のミャンマー人2人とともに有罪判決を受けた。

Myanmar court jails New Zealand man for insulting Buddha(AP、2015年3月17日)

ミャンマーで商売をしていて、ミャンマー人が嫌がることをするという神経をまず疑う。ニュージーランド人にとって仏像は単なる像だろうが、それを自身の宗教に置き換えて考えることさえしなかった幼稚さにももっと驚く。

さらにいえば、記事に引用されている「国際人権団体」の反応にも驚く。

It is ludicrous that these three men have been jailed simply for posting an image online to promote a bar. They should be immediately and unconditionally released.(アムネスティ・インターナショナル)

ざっくり訳:バーを宣伝するために画像をオンラインで載せただけで牢にぶち込まれるのはばかげている。彼らは即時無条件に解放されるべきだ。

What this shows is freedom of expression is under greater threat than ever in Burma (Myanmar) just as the country heads into a pivotal election year.(ヒューマンライツ・ウォッチ)

ざっくり訳:今回の件で分かったのは、ミャンマーが今年重要な選挙を迎えようとしている中、表現の自由はかつてないほど深刻な危険にさらされているということだ。

まあ、「自由」「人権」を標榜する「人権団体」にとっては、欧米人がアジアの片隅で有罪判決を受けたら反応しないと、彼らの存続基盤も脅かされるし、何より寄付金も集まらない。本心では言いたくなくても言わなければならない事情もあるかもしれない。

しかし、シャルリー・エブド事件が示した通り、「表現の自由」はいついかなる時でもどんな状況でも無条件で許されることではないだろう。他者の「信教の自由」を侵害してまで許されるものでもないだろう。

NZも加盟する英連邦の盟主、エリザベス2世が裸になって中指を突き出しているような画像を、ミャンマー人がツイッターで拡散したとしたら、彼らはそれを「表現の自由」だからといって許すのだろうか。今回の画像に怒ったミャンマー人が、キリストとマリアがまぐわっているアニメを作ってネットに公開したら、それでも「表現の自由」と許せるのだろうか。

人命や人権は確かにuniversal valueとして認められているだろう。しかし、英語にもDo in Rome, as the Romans doという言葉はあるだろう。ましてや旅行者でなくそこでビジネスをしている人物が、その地に適応せず、自らの文化や価値観だけを主張すれば、摩擦やそれに伴う傷を負うのは、ほとんど不可避だろう。

しかもミャンマーでは、反イスラム感情の反動で強硬派仏教僧が注目を集めていているさなか。そんな火事の中で、炎上商法をしようとしたのだろうか。

このニュース、時事のほか、18日付朝日新聞とNHKも報じた。しかしいずれも事実関係だけで、それをフックにしてミャンマーの現状を書くことはなかった。まあ、いつものことだけれど。

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