ミャンマー政府、少数民族と停戦草案で合意

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ミャンマー政府と16の少数民族勢力は30日、停戦合意のための文案で合意し、31日に合意文書に署名した。16か月間の交渉と頓挫の危機を乗り越えての合意だ。ただ依然、コーカンやタアン/パラウンなど政府軍と戦闘を続け合意に参加していない勢力もあり、「全面停戦」にはまだ道半ばだ。

Myanmar, rebels agree on cease-fire text(Los Angeles Times、2015年3月30日)

この後、各勢力が文案を持ち帰り、各勢力リーダーが署名して初めて停戦合意が効力を持つ。4月下旬ごろには帰趨が判明する見通しという。

連邦制であるミャンマーは、国境地域を中心に数多くの少数民族が住む。イギリスからの独立後、特にキリスト教系のカレン族などは、仏教徒であり多数派のビルマ族が中心の政府に対し武装蜂起。それを鎮圧しようとする政府との間でたびたび衝突してきた。

こういう歴史的文脈から見れば、まだ挫折する可能性をはらむとはいえ、多数の少数民族と包括合意に近づいたという点では、大きなターニングポイントといえる。

これを日本の各紙はどう伝えたか。

最も手際よかったのが朝日(4月1日付紙面)。記事のまとめとなる前文を引用する。

 ミャンマーで1948年の独立直後から内戦状態にあった少数民族武装勢力と政府が31日、「全国停戦協定」の草案の交渉で合意した。双方の交渉団が、政治対話の開始などの内容をまとめた。少数民族側各組織のリーダーが同意して署名すれば、協定として発効する。国内和平の実現へ大きな前進だ。ただ、一部では戦闘が続く見通しだ。

付けられた地図ではどの勢力が参加し、また参加しなかったのが一目で分かる。ただし、カチンについて「政府と停戦せず」としてあるが、APなどによると、「representatives from the government and 16 ethnic armed groups, including the Kachin Independence Army (KIA), signed the draft accord.」であり、カチンは今回の合意に参加している。戦闘をやめていないという意味かもしれないが、この合意は停戦するという内容なのだから、「政府と停戦せず」の表記は矛盾している。記事で31日に「合意」としたのも異論があるが、全体的にそつなく必要な要素を網羅しており、五十嵐記者のふだんの勉強ぶりがうかがえる。

記事自体は同等レベルだったのが毎日(4月1日付紙面)。同じく前文。

 ミャンマーで独立(1948年)以来続く内戦を巡り、政府と少数民族武装勢力(16組織)は「全土停戦」協定の草案に合意し、31日、関係者が文書に調印した。停戦は各組織指導者の承認(署名)を受けて成立する。恒久和平に向けた重要な一歩だが、戦闘が今も一部で続く中、和平プロセスの前途はなお険しい。

合意し31日に調印という流れに正確で、春日記者の几帳面さが出ている。また今後の課題も述べており文句はない。ただ地図がポイントを外していたため順位が落ちた。

スペースは大きく、年表にミニQ&A、識者2人のコメントも入れたが、記事が見劣りしたのは読売(4月1日付紙面)。同じく前文。

ミャンマー政府と同国の少数民族勢力代表は31日、最大都市ヤンゴンで、共同作成した全土での停戦協定の草案に基本合意した。1948年の独立直後からビルマ族を中心とする国軍と少数民族との内戦状態が続く同国で、事態打開に向けた大きな一歩となる。今年末の経済共同体発足を目指す東南アジア諸国連合(ASEAN)にとっても、ミャンマーの安定は重要課題となっており、停戦実現に向けた今後の動きが注目される。

これから予想される課題にまったく触れていない。本文でも最後でやっとコーカンなどに触れた程度。全体としては地域的に大きなインパクトがあるというトーンで書かれており、ミャンマーの歴史を多少でも頭に入れた者なら、事情はそんなに簡単ではないことがすぐに分かるはずだ。31日に合意に達したとも書いており、朝日同様、異論は残る。しかも無理に大きな意義を持たせようとしてASEANに結び付けた。風呂敷を広げすぎて説得力がなくなった好例といえる。前文の短い文章に「同国」が2回も出てくるなど文章的にも見苦しい。

この3紙とも協議が行われたヤンゴン発で書いている。協議はその前、17~22日に行われた後、30日に再び始まることが分かっていた。つまり、各紙には準備をする十分な時間があった。

それなのに記事内容、紙面に大きな差が出たのは、第一義には記者のふだんの勉強の如何によるが、第二には、東京本社で記事を差配するデスクの力量に差があったのだろう。地図や年表などは特派員が作ることよりも、東京のいわゆる「受け」のメンバーが作る方が圧倒的に多い。記事内容、大まかな筋、必要な要素、どんな視点で書くかなど、デスクが全般的に指示し責任を持つ。

たとえば読売記事のような原稿が東京に届いたら、東京のデスクはふだんからの勉強を生かして、「ミャンマーでの停戦がそんなにうまくいくのか」「ASEAN経済共同体と本当に関係があるのか」を精査し、必要なら書いた記者に問いただして、原稿を修正しなければならない。

東京では通信社の速報なども読んでいるはずだ。欧米メディアも含め、今の時点でASEAN経済共同体云々に触れた記事はない。だからといって読売は「他社になかった視点を提供した」のではなく、むしろ「的を外した議論をしている」といえるだろう。

むしろ、今後の報道でどの社がいつ書くか楽しみにしているのは、スー・チーについてだ。憲法を改正してでも大統領になりたいスー・チーだが、軍出身のテイン・セイン大統領にこれだけ記念碑的かつ歴史的な業績を作られてしまっては、憲法改正がなされ、今秋の総選挙で大勝しスー・チーが大統領になれたとしても、残された仕事は多くはない。大統領になったはいいが、結局、並の大統領にしかなれない。今回の合意は、スー・チーを苦境に立たせるそんな側面がある。

スー・チーは総選挙での勝利や自身の大統領就任のため、多数派ビルマ族の票を意識するあまり、ムスリムをはじめ少数民族に冷淡だという評価も根付いている。大統領になったらなったで、今回のような合意を取り付けられたかは甚だ疑問だ。

少数民族と戦った政府軍出身のテイン・セインが停戦合意をまとめ、民主化運動のアイコンだったスー・チーがその停戦合意を壊す。そんな皮肉な筋書きすらあながち可能性がないわけではない。スー・チーの父親で建国の父、アウン・サン将軍は、独立運動時に各派勢力と協力を約する「パンロン協定」を成し遂げた。そんな歴史を思うにつけ、そんな歴史の皮肉が現実化しないよう願わずにはいられない。

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