スー・チーへの懐疑論高まる

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「ミャンマーの民主化運動指導者」という枕詞が当たり前だったアウン・サン・スー・チー。近年はオバマやキャメロン、メルケルなどとhigh profileな人々が自分を訪ねてくるのが当たり前になるほど、ミャンマーで最大の有名人であり、また従って注目を集めている人物でもある。しかし本当に「民主化運動指導者」であるのかは、これまで当サイトが指摘してきた通り。その懐疑をまとめるような記事があった。

Myanmar Is More than Aung San Suu Kyi(Stanley Weiss、Huffington Post、2015年4月13日)

見出しがずばりと問題の核心を突いている。あえて意訳すると「スー・チーよりミャンマーが大事」「スー・チー、イコールミャンマーではない」というようなニュアンスか。

筆者の肩書きと発表媒体は若干、留保をつける必要があるけれど、ミャンマー市民の声や、これまで欧米メディアが折々に示してきた懐疑を紹介しつつ、自分がヤンゴンで肌で感じた実感を持ちながら書いていることがわかる。

少し長いが一端を引用しよう。

It has locals here asking a pointed question: if the upcoming general election, due in November, doesn’t end with Suu Kyi as President, will the West see the election as legitimate — or will it be the trigger for new sanctions to be imposed on the people of Myanmar? Put another way: if Suu Kyi’s party, the National League for Democracy (NLD), follows through on the threat it made this month to boycott the election if the military-drafted Constitution doesn’t change, will that invalidate all of the progress this nation has made the past four years in the eyes of the West?

ざっくり訳:地元民はこんな問いをすることがある。11月に予定されている総選挙でスー・チーが大統領にならないとしたら、欧米は総選挙を否定するだろうか。そしてミャンマー国民に経済制裁を課すだろうか。もしスー・チーの党(NLD)が、政府は憲法改正をしないからといって今月ほのめかした通りに総選挙をボイコットしたら、欧米は、これまでミャンマーが積み上げてきた民主化への4年間の道のりを否定するだろうか。

また、後半ではスー・チー自身のパラドックスも指摘している。スー・チーが大統領になるために憲法改正を声高に叫べば叫ぶほど、要は「自分を大統領にするために憲法を改正せよ」といっているのだから、非常に利己的な主張に聞こえること。そして、大統領になるのが目的であり、大統領になって何をミャンマーにもたらすかまったく見えないこと。彼女はあくまで「民主化」つまり「反軍事政権」の、指導者ではなくあくまでアイコン(飾り、旗頭)であり、そんな彼女が大統領を目指すこと自体に無理があるのではないかということ。

非常にきれいに構成されている論であり、なかなかこれに反駁することは難しい。こういう論を日本の新聞でぜひ読みたいものだが、ミャンマー、特にスー・チーに関する記事になると、十年一日のごとく、イメージでしか書かない記事が多いから困る。

そして、日本のHuffPoも、この記事を翻訳しなかった。スー・チー称揚の朝日的方針には合わなかったのか、日本では受けないと思ったのか。いずれにせよ、英語を読める人でないと接することができない記事であり、しかも世界に目を配る人は英語の記事を読んでいるというこの現実。つまり、日本で日本語のメディアにしか接しないというのは、世界的に見ればかなり小さな水たまりでミズスマシの踊り方を見ているだけに似ている。すぐわきに情報の大海があるとも知らぬまま、飽きもせず単調なミズスマシのダンスを見ているだけの、そんな観客でいいのだろうか。

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