ミャンマーの新教育法に反対する学生デモが昨年11月に始まって約3か月。AP電によると、5日に政府がしびれを切らして警告を出した。それを学生側が拒否したという記事がこちら。
Myanmar students reject government warning to stop protests(AP、2015年2月5日)
警告の内容というのが、
A special announcement by the Government Information Committee broadcast on state television said some political organizations were behind recent student protests, but did not identify them. It called on the public to cooperate, reminding them of past instability due to riots.
ざっくり訳。政府情報委員会が国営テレビで流した特別発表は、最近の学生デモの背後には政治的団体がいるとしたが、それが何なのかは名指ししなかった。発表はまた、市民に対し、暴動が社会不安につながった過去があることを指摘し、協力するよう求めた。
AFP(2015年2月6日)は政府側からの指摘についてもう少し詳しく書いている。
Some political organisations, so-called students and those masterminding the rallies are using the students with the excuse of education to create unrest
ざっくり訳。政治的団体や自称「学生」(訳注:プロ学生のようなもの)、デモの主導者らは、学生たちを使い、教育を名目として、不安定な状況を作り出そうとしている。
まあ、政府側からの嘆願ととれなくもない。「今のうちに何とか言うことを聞いておとなしくしてくれ」という。デモが騒動となり、暴動となり、軍の弾圧が始まれば、やっと安定してきたミャンマーが再度、強権的な政府にとってかわられたり、悪くすればfailed stateにもなりかねない。過去のこの国の歴史を知る人たちが一様に抱くであろう不安でもある。
こんな時、「民主化」「民主主義」を自認してきたアウンサン・スーチー率いる国民民主連盟(NLD)はどう対応するか。ここに彼らの存亡がかかっているともいえる。
AFP電によると、「Aung San Suu Kyi’s opposition party, the National League For Democracy (NLD), has offered support to the students, but sought to keep a distance from the negotiations with government」というから、何ともどっちつかずの対応を取っている。
さらに興味深いのは、スーチー自身の動きだ。1月29日に私は「スーチーの変節」を書いた。民主・独立系サイトのMizzimaはこう報じている。
NLD committee member must resign or cease education activism, says Suu Kyi(Mizzima、2015年2月4日)
Daw Aung San Suu Kyi confirmed on February 3 that Dr Thein Lwin must resign from the central executive committee of her National League for Democracy party if he wishes to continue to work on behalf of the National Network for Educational Reform.
つまりスーチーは、学生運動に同情的な、もしくは賛成のNLD中央執行委員Thein Lwinに対し、「学生に肩入れするなら中央執行委員をやめてヒラのNLD党員になれ」と言っている。彼女を「民主化の象徴」とあがめてきたヒラリー・クリントンやオバマが聞けば耳を覆いたくなるような言葉かもしれない。
ただ、Mizzimaの記事では、スーチーがなぜこういう発言をしたかの説明がない。
多少の説明を試みているのが、以下の記事。
Has Aung San Suu Kyi turned her back on Burma’s student protesters?(Mark Inkey、Asian Correspondent、2015年2月6日)
なかなか示唆に富み読み応えのある記事だが、記事の最後で、スーチーがこれまでもいくつかの問題で「民主的な動き」に背を背けてきたと指摘した後、
It seems that rather than being revolutionary politicians with conviction and vision the NLD and Daw Aung San Suu Kyi are turning out to be timid small-minded petty bureaucrats.
One wonders whether they will be capable of supplying the visionary leadership Burma so badly needs.
としている。つまり元々「小物」であり、ビジョンやリーダーシップは持っていなかったのだと。だとしたら、88運動からスーチー軟禁終了まで多くの人が抱かされてきた「民主化の象徴」とは一体、なんだったのだろうか。