"Je suis Charlie"と"Je suis Ahmed"

パリの新聞社「Charlie Hebdo」襲撃事件を受けて、パリや世界で、黒地に白抜きの「Je suis Charlie」(I am Charlie)といったプラカードなどを掲げる動きが出ている。

在日フランス大使館では「Nous sommes Charlie Hebdo」(We are Charlie Hebdo)ページをFacebookに設けて弔問を受け付けている。「Je suis Charlie」はシャルリー・エブドへの連帯を示すための標語となっている。

しかし今もって日本のメディアでは断片情報ばかり。せめて、米ウェブメディアVoxのように、犯人から仏テレビ局記者への電話内容を詳細に報じることぐらいはできるだろうに、「新聞社が襲われた」イコール「表現の自由への挑戦」と安直に結論付けた空疎な報道しか目につかない。

それほどまでに「表現の自由」を標榜するのなら、フランス国内でさえ問題視されてきたCharlie Hebdoの数々のお下劣漫画をどうして転載しないのだろう。転載すれば自らもイスラム過激派から襲撃される可能性が高まることを恐れているに過ぎない。そんなメディアへの批判も高まっている。

例えば、米政治サイトPoliticoは、「Internal CNN memo: ‘We are not at this time showing the Charlie Hebdo cartoons’」と、CNNの社内メールをすっぱ抜いた。孫引きすると、

Although we are not at this time showing the Charlie Hebdo cartoons of the Prophet considered offensive by many Muslims, platforms are encouraged to verbally describe the cartoons in detail. This is key to understanding the nature of the attack on the magazine and the tension between free expression and respect for religion.

Video or stills of street protests showing Parisians holding up copies of the offensive cartoons, if shot wide, are also OK. Avoid close-ups of the cartoons that make them clearly legible.

It’s also OK to show most of the protest cartoons making the rounds online, though care should be taken to avoid examples that include within them detailed depictions of the Charlie Hebdo cartoons.

ざっくり訳。「問題の漫画をCNNとしては映像に写さないが、言葉で詳しく表現すべきだ。襲撃がなぜ起きたのかを理解するのに重要だし、表現の自由と宗教に対する敬意との間の緊張関係を伝えるためだ。問題の漫画を抱えて抗議運動する映像や写真は引いたショットならOKだが、しっかり見えるようなものはだめ」

この記事中では、AP通信やニューヨーク・デイリー・ニュース、英紙テレグラフも日和っていると批判されていると付け加えている。

そんな中、あえて掲載に踏み切ったところもある。ワシントン・ポストだ。

Washington Post opinions section publishes controversial Charlie Hebdo cartoon – The Washington Post.

掲載した理由をポスト紙は、

Samples of Charlie Hebdo’s work thus might appear critical to explaining this act of terrorism. Fred Hiatt, the editorial page editor of the Washington Post (and boss of the Erik Wemple Blog), said the following about his rationale for publishing the cartoon: “I think seeing the cover will help readers understand what this is all about.”

ざっくり訳。「シャルリー・エブドがどんな漫画を掲載していたかを示すことは、今回のテロ行為を説明するのに死活的に重要だ。(これを掲載した)Op&Ed面担当編集者は『この表紙を見れば読者は今回のことをよく理解できるだろう』と語った」

またこの記事の中でも、「But many mainstream U.S. media feel otherwise: The Associated Press, CNN, the New York Times, MSNBC, NBC News」が非掲載とする一方、新興メディアは掲載していると書いている。

ポスト紙の掲載紙面PDFをよく読んでみると、なぜ今回の事件が表現の自由への脅威となるのか、刮目すべき指摘がある。

If freedom means anything, it means freedom of expression — to include expression that some might find irresponsible, offensive or even blasphemous. In the realm of art and ideas, pretty much nothing is, or should be, sacred, lest we head down the slippery slope to censorship, or self-censorship.

ざっくり訳。「フリーダムの意味するところは、表現の自由である。そこには、無責任かつ人の気分を害するような、冒涜的な表現も含まれる(つまりCharlie Hebdoがそう)。芸術や思想の分野では、冒涜すべきでないものは何もない。我々が検閲や自己検閲への坂道を転がり落ちないためにだ」

「自己検閲」しているニューヨーク・タイムズなどを若干攻撃しているわけだが、ポスト紙が一番重視しているのも「自己検閲はなるべく避ける」という点なのだろう。つまり表現の自由は、「攻撃されたから守るべきもの」つまり外部からの圧力をはねかえすために必要なのではなく、自らが自制をしまくってその結果、情報の受け手に情報が十全に伝わらないという事態になることを避けるために必要なのだとも言える。

こうした、段階を踏んできちんと思考した後に「表現の自由は大事だ」と言われると納得できるが、「新聞社が攻撃されたから表現の自由の侵害だ」と脊髄反射的に声高に叫ぶ安直さには、「ヤレヤレ」と萎えざるを得ない。

先述の「Je suis Charlie」だけが溢れる現状に違和感を感じる人も多いようだ。Voxは、「#JeSuisAhmed: a crucial message that everyone should hear」という記事を掲載している。新聞社の近くで新聞社を守ろうと銃撃された警官の名がAhmedだ。名前からイスラム系と見られているという。つまり、イスラム教を冒涜した新聞社を守るために命を落としたイスラム教徒の警官も、「表現の自由」を守った人と讃えられてしかるべきだ、というわけだ。

フランスの哲学者ボルテールが言ったという、「I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.」を地で行く行動を讃えようという動きはしかし、「Je suis Charlie」という反テロ感情の奔流で、ともすれば見えにくくなってしまっている。だからこそ、こうした本質的な事象を、メディアは伝えなければならないはずだ。「テロの恐怖が高まっている」を徒らに煽り立てるベクトルと、「この際、移民を排除せよ」という扇情的かつ排外的なベクトルは、実はそれほど違ってはいない。両方とも、情に訴えて理をわきまえようとしないから。

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