安倍のabsence

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Charlie Ebdoなどに対する襲撃で犯人3人を除き17人が亡くなったフランス。現地時間11日に、パリなどで100万人以上というデモが行われた。

このデモ(英語ではrally)には、イスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナのアッバス議長、ウクライナのポロシェンコ大統領とロシアのラブロフ外相という、普段は敵対し合っていて同じ空気も吸いたくないであろう組み合わせが揃って参加したほか、ドイツのメルケル首相、イギリスのキャメロン首相らも駆けつけ、フランスへの連帯を示した。

 

ただ、日本のメディアが報じるのはここまで。これ以降は、日本以外のメディアを見なければわからない点。

先の顔ぶれを見ればわかるが、アメリカからはオバマ大統領、バイデン副大統領、ケリー国務長官ら主だったリーダーは出ず、駐仏大使のみだったこと、パリにいたホルダー司法長官がデモに参加しなかったのに米テレビ局4局のトークショーに現地から出演したこと、つまり米政権首脳がだれもデモに行かなかったとの批判が噴出した。

America snubs historic Paris rally: Holder was there but skipped out early, Kerry was in India, Obama and Biden just stayed home

で、ケリー国務長官は、「ヌランド国務次官補や駐仏大使もデモに参加していた」と反論、オバマや自身に対する批判は「屁理屈だ」と決めつけた。しかしそれこそ屁理屈ということには気づいているのか、今週後半には遅ればせながらパリに行くのだそうで。

上のFoxNewsによると、デモが行われた時間帯にオバマ大統領は、

According to an administration official, President Obama spent part of his Sunday afternoon watching a National Football League game on television. Both games were broadcast hours after the march.

なんだそうで。ケリーはケリーで、訪問していたインドで、投資関連の会議に出ていたらしい。オバマは,

Our thoughts and prayers are with the victims of this terrorist attack and the people of France at this difficult time.

などという声明を1月7日に出しているが、フランス人の悲しみや怒りよりもアメフトの方が大事だったらしい。

さて、これ以降は自分の頭で考えて調べる部分になる。そういえば日本からもだれも出ていないのではないのか。

安倍首相は1月8日、

この困難な時に、日本はフランスと共にあります。

などという美辞麗句で飾ったフランス大統領あてメッセージを発表しているのだから、もちろん出席したのだろうと思いきや。

時事通信の首相動静を見ると、10日(デモ前日)は箱根で、「おともだち」の世耕官房副長官らとゴルフ。御殿場にあるおじいちゃんの旧私邸を経由して、山梨県内の別荘へ。そして宿泊。11日は午後に別荘を出て、祖父・父の墓参り。報道各社のインタビューを受けた後、別荘に戻る。

つまり、休日を過ごしていたわけだ。外相もデモには出ていないようだ。なぜなら駐フランス日本大使館のサイトには、「駐仏日本国大使は、パリ市内にて行われた『共和国行進』に参加」とある。外相ら、大使より職位が上位の者が出ていれば書かないはずがない。共同電は、「日本政府を代表して鈴木庸一駐フランス大使が参加」とあるから、やはり他は出ていないのだろう。

従って、大使に加え国務次官補が出たアメリカよりさらに見栄えしない対応だったということだ。パリで取材するのは外信・国際部、官邸や外務省は政治部。だから、そこに橋をかけて「あれ?日本からは?」と問い直す記事やレポートが出てこない。だから見た人は「パリの街角が人で埋まってすごいね」という感想しか持てない。

これは、「近所で子猫が生まれました」という話とそんなに変わらない。事実を簡潔に、無駄なく伝えてはいるが、ニュースで最も重要な「ニュース価値」がほとんど伝わらないからだ。その猫がものすごく貴重な種であるとか、生まれた子猫がなんと100匹なのだとか、そういうニュース価値を伝えないニュースは断片的な情報でしかなく、ましてやそのニュースで人を感動させたり考え方を変えたり動かしたりはできない。

紙面を開き、定時のニュースにチャンネルを合わせる。その度に、驚きや感動、「なるほど」や「そうなんだ」が欲しいと思っているのだが、そんな記事やレポートにめぐり合うことがめっきりなくなってきた。それはある意味、「表現の自由」を無駄にしているということにならないのか。そして表現の自由を無駄にするということこそ、表現の自由に対する最大の冒涜ではないのか。

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