クメール・ルージュが着々と押し寄せる中、1975年4月12日、プノンペンから米軍ヘリで脱出した元米大使が「カンボジアを見捨ててしまった」と悔やんだ。
US abandoned Cambodia and handed it to ‘butcher’ 40 years ago, ex-envoy says(AP、2015年4月11日)
記事中にはうたっていないが、その日から40年となることを意識した記事だろう。日本のメディアはよく「何々から何年」という記事を書くが、欧米系は少ない。それだけ周到に仕込んできたということだろう。
フランス人の妻とともにパリに住む89歳にインタビューした長い記事だ。
その中で彼は、
“We’d accepted responsibility for Cambodia and then walked out without fulfilling our promise. That’s the worst thing a country can do,” he says in an interview in Paris. “And I cried because I knew what was going to happen.”
ざっくり訳:カンボジアに対する責任を持とうとしていたが、しかしその約束を守らないまま逃げてしまった。こんなことは国家がする最悪のことだ。彼らに何が起きるかを知っていたから、私は泣いた。
老境に入り、自分の半生を虚心に見つめた結果の言葉かもしれない。少し補足すると、「カンボジアに対する責任」とは、クメール・ルージュの侵攻前、プノンペンにはアメリカが押し立てたロン・ノル政権があった。つまり、隣の北ベトナムの共産主義とも戦うために、カンボジアで専横的な傀儡政権をアメリカが作ったことを指す。そうして共産主義などからカンボジアを守ろうとしたが、失敗したという趣旨だ。
この発言の中で目立つのは、3文目だ。彼は、クメール・ルージュが政権を取った場合、カンボジア人にどのようなことが起きるか知っていたと語っている。歴史の解説書などによると、クメール・ルージュは政権をとってもなお謎につつまれ、世界はクメール・ルージュとの付き合い方をどうしたものか思案にくれたとするものが多い。元大使が、カンボジアで起きたことの情報を後から知って、撤退時にそう考えていたと思い込んだ可能性もないわけではないが、しかし、実際にはクメール・ルージュがどういうものかアメリカはやはり知っていたのだろう。
元大使は、米政府の撤退の決断を「indecent act」(下劣な行い)、「Isn’t there any sense of human decency left in us?」(我々に品性は残っているのだろうか)などと批判している。原爆投下や東西冷戦、イラクやアフガンへの侵攻など、アメリカ人を救うために数多くの他国人を犠牲にする判断は、アメリカではとかく「愛国者」として賞揚される傾向があるが、そこに疑問を呈したと読むこともできる。
この撤退の2週間後、米軍はベトナムでも敗北し、撤退した。その意味では、時代に逆らえなかったアメリカの責めを、元大使一人が悔いているようにもみえる。
「品性」を欠いた日本の雑誌や、報じること、時代の証言者であることを忘れた日本の新聞で、こういった力のこもった記事を読むことはこのところ、ほとんどない。