罪人の問い

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「クメール・ルージュ」「ポル・ポト」「キリング・フィールド」の名を一度は聞いたことがあるだろう。では何なのかと聞かれて正答できる人は少なかろう。それが現在にどんな影響を及ぼしているか知る人はもっと少ないだろう。

1970年代のカンボジアで、反対者や知識人の虐殺、未開地への強制疎開、宗教や通貨、親子関係の否定、密告の奨励、鎖国化など、過激な「革命」を推し進め、猖獗を極めたグループが「クメール・ルージュ」であり、そのリーダーが「ポル・ポト」であり、虐殺の場となったのが「キリング・フィールド」だ。クメール・ルージュにより、当時の人口の4分の1にあたる170万人以上が死んだとされる。現在の日本に置き換えれば、3000万人以上が死ぬような状況に匹敵する。

その後、いろんな紆余曲折があって当然、ポル・ポトは死に、クメール・ルージュは消滅した。しかし現在のカンボジアでは、当時の幹部を裁く特別法廷が続いている。ポル・ポトに次ぐ「ブラザーNo.2」と呼ばれたヌオン・チア元人民代表議会議長と、国家元首だった元国家幹部会議議長キュー・サムファンが被告となっている。2014年に一部の罪状につき終身刑が下され、現在、残る「人道に対する罪」、つまり大量虐殺などについて審理されている。

と、ここまでが基礎知識の部分。

その特別法廷で9日から、米国人ジャーナリストのElizabeth Beckerが当時の状況を証言した。

Journalist Tells of Trip to Pol Pot’s Phnom Penh(Cambodian Daily、2015年2月10日)

Beckerは元Washington Post記者として、ポル・ポトにインタビューした数少ないジャーナリスト。当時のカンボジアでどんな風景を見たかは、「70年代にポル・ポトと会見した米国人記者、カンボジア特別法廷で証言へ」(AFP日本語版、2012年02月24日)で概要がつかめる。

特別法廷のサイトによると、9日から本日まで3日間、証言をしている。しかし、その内容をネットで報じた日本メディアはない。従って外電に頼るしかないが、たとえばVoice of Americaは「Witness Describes US Role in Khmer Rouge Politics」(2015年2月10日)という記事で、

Becker told the court that the United States also played a role in the affairs of the Khmer Rouge, known officially as Democratic Kampuchea (中略).

That allowed the Khmer Rouge to become a political entity, which could keep its status representing Cambodia to the United Nations, she said.

ざっくり訳。ベッカーは、クメール・ルージュ、正式には(当時の国名は)民主カンプチアと呼ばれる事象について、アメリカも一定の役割を担っており、このことによってクメール・ルージュが政治的な団体となる一助となり、ひいては国連議席を維持することにもつながったと述べた。

これはもう少し解説が必要だろう。70年までカンボジアは、国民から一定程度、敬愛されていたシアヌーク国王を戴く王国だった。しかしシアヌークは共産勢力に宥和的な姿勢を示し中国との関係を深めていた。すぐ東側でベトナム戦争を戦うアメリカは、この状況を危惧し、国軍のロン・ノル将軍にクーデターを起こさせ、王制は廃止された。シアヌークは亡命し、一層、共産勢力と共闘する姿勢を示す。ロン・ノルは強権的な政治を行ったため国内でも批判が高まり、クメール・ルージュが跋扈するようになる。シアヌークは復権のため、ポル・ポトと協力する。結果的にクメール・ルージュがプノンペンを陥落させ、76年に「民主カンプチア」を成立させる。クメール・ルージュは反ベトナムでもあったから、アメリカに勝ったベトナムが78年にカンボジアに侵攻、翌年、プノンペンを落とす。しかし、これに国際社会(欧米+中国)が反発。国連議席をクメール・ルージュが抑える状況が続いた。以後も、クメール・ルージュや親ベトナム派、その他による内線が1991年まで続いた。

つまりベッカーは、20年以上にわたるカンボジアの苦難に、アメリカが責任を負うべきだと指摘したに等しい。同じことは、クメール・ルージュを支援した中国にも言えるが、ここでは深く言わない。

そしてVOAも報じていない部分が現地紙にある。

Nuon Chea queries Becker(Phnom Penh Post、2015年2月12日)

Nuon Chea Breaks Silence to Question Journalist(Cambodia Daily、2015年2月12日)

自身の裁判を不公平だとして欠席を宣言していたヌオン・チアが出廷、ベッカーに2つの質問をした。Phnom Penh Postによると、その2つとは、

[The United States] engaged in bombardment for 200 days and nights . . . and as a result, many innocent Cambodian people died, and [there was] destruction of the houses, rice fields and pagodas,” Chea said. “I’d like for you, the expert, to give us the reason for that bombardment.

ざっくり訳。アメリカはカンボジアを200日にわたって爆撃した。その結果、多くの無辜のカンボジア人が死に、家や田、寺院が破壊された。専門家というあなたに聞きたい。この爆撃の理由は何だったのか。

であり、

Is it your opinion that the US government was solely responsible for the tragedy that it inflicted upon the Cambodian people?

ざっくり訳。カンボジアの人々にもたらした悲劇について、もっぱら責任があるのはアメリカ政府だという意見に、あなたも賛成か。

だった。1つ目の質問に対してベッカーは、「当時のニクソン政権がクメール・ルージュの権力掌握を恐れたからだ。(太平洋戦争で日本に落とした爆弾の3倍という)これだけの量の爆弾を落とせば、クメール・ルージュが交渉の席に着くと考えたが、それは失敗した」と答えている。Cambodia Dailyによると、2つ目の質問に対するベッカーの答えは、「Of course」だった。

カンボジアの悲劇の原因をこれほどまでに如実に示すやりとりはなかった。ここにこそ、メディアが報じるべき、そして記録に残すべきニュースがあった。しかし、繰り返すが、ネット上で報じた日本メディアはないし、紙面オンリーの記事でもないだろう。なぜなら彼らは今、ISISにしか目を向けていないからだ。

もちろん、ニュース価値は、出来事の相対的重みに従う。いくら現代史で重要な出来事であっても、新しく、衝撃的で、進展が早いニュースの扱いが大きくなることはある程度は仕方ない。

しかし、ことカンボジアに関してはこの論点は大きな事実を見落としている。

クメール・ルージュの国連議席維持については、当時から米国追従だった日本政府も認めていた。その後悔もあってか、内戦終結後、日本はカンボジアにかなり深く関与した。国連が国家を暫定的に統治するという試みを行った際、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)を率いた事務総長は明石康だった。国連平和維持活動には日本も参加し、日本人2人が命を落とした。内戦時には、「地雷を踏んだらサヨウナラ (講談社文庫)」を残した一ノ瀬泰造が、当時クメール・ルージュの支配していたアンコール・ワットを取材しようと消息を絶った。今回の舞台となった特別法廷には、日本人裁判官も参加したことがあり、そもそも運営のための拠出金で日本は2100万ドル(約25億円)と、全体の54%を賄っている(外務省、PDF)。つまり資金的には、日本が特別法廷を運営している。

これだけ注視しなければならない理由がそろっていながら、ヌオン・チアとベッカーの質疑を報じなかった日本メディアは、「ウクライナ」(読売、朝日、産経)、「ISIS」(毎日、東京)を外信面のトップにした。カンボジアについては全紙1行もなし。

そのISIS問題にしてもそもそも、実際にはない大量破壊兵器を持っているといってイラクのサダム・フセインを倒したり、イスラエルの脅威になっているという理由でシリアのアサド政権を攻めたりして、イラク・シリア両国政府の統治能力を劇的に下げ、ISISが跋扈する下地を作ったのはアメリカだった。50年前から懲りずに同じことをやっているそんなアメリカの責任をあぶりだす格好の題材に、カンボジアの特別法廷での一コマはなったはずだった。

近現代史を知らず、従って目の前のニュースしか追いかけられない記者も記者だが、そんな記者を使って深みのある記事を書かせられなかった各紙東京本社のデスクもデスクだ。ウクライナの前触れ記事を書かせたり、使い古しのISISネタを繰り返したりするより、もっと日本の人たちに伝えるべき事実があったのに、みすみす逃している。こんなことでは、新聞を購読したくなくなる人が増えるのも理解できる。ウクライナやISISでは、予定調和であり面白くもなんともないからだ。

80歳を超えてもなお本質的な質問を繰り出すヌオン・チア。狡猾ながらそれと向き合ったエリザベス・ベッカー。2006年から続く特別法廷の白眉はここにあったと言えるのかもしれない。

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