権力者のmouthpiece

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メディアが最も醜悪である瞬間、それは誤報をした時でも失敗をした時でもない。権力を監視するという使命を忘れて権力者のmouthpieceになってしまった時であり、権力者のmouthpieceであることを存在理由とする時だ。

中国の人民日報が発行する「環球時報」。これが報じたという内容をロイターなどが伝えている。

Myanmar rebel leader denies Chinese fighting with him(Reuters、2015年2月25日)

先日書いたように、ミャンマーの中国国境に接するコーカンで政府軍と戦う彭家声(Peng Jiasheng)が、自分の軍隊には中国人はいないと主張する内容だ。ロイター電では、

Since the 2009 incident, the Kokang side has strictly forbidden Chinese citizens from entering Kokang to join the MNDAA,” Peng said in a telephone interview published on Wednesday.

“We will not accept Chinese citizens participating in armed actions as this is only harmful to us,” he added.

ざっくり訳:2009年以来、コーカンでは中国籍の人間が入域してMNDAAに加わることを厳しく禁じてきた。中国籍の人間には軍事行動に加わることを認めないし、そうしたら我々に害になるだけだ、とPengは環球時報の電話インタビューに答えた。

としているし、同じく環球時報を引用している香港の英字紙South China Morning Postによると、

Peng Jiasheng, an ethnic Chinese rebel commander in the Kokang region in Shan state, told the Global Times it was an “iron bottom line” not to accept Chinese citizens in his army. (中略)

“There would be no benefit, but harm to us,” Peng said. “Most importantly, we will face enormous pressure once Chinese law enforcement agencies uncover any Chinese nationals taking part in the war here.”

ざっくり訳:シャン州コーカン地域の反乱軍を率いる中国系のPengは、環球時報英語版に対し、厳守事項として、自身の部隊に中国籍の人間を受け入れていないと語った。「そんなことをしても益はなく、害だけだ。最も重要なことは、中国籍の人間を引き入れれば、中国当局からの強いプレッシャーを受けることになる」とも話した。


しかし環球時報の記事は様々に変だ。Pengが「Chinese citizen」と語り、決して「Chinese」と語っていない点、また本来なら接触が極めて難しい「反乱軍のリーダー」に電話一本でインタビューできている点を考えると、ちょっとメディア・リテラシーのある人が読めば、簡単に記事の意図を推察できる。

加えて、環球時報は英語サイトも持っているのに、当該記事は26日昼段階でも英語サイトには掲載されていない。もちろん中国語版もあって、「彭家声」と日付で検索すると、「“果敢王”彭家声」(コーカンのリーダー、彭家声)という記事はあるが、自動翻訳にかけてもロイターやSouth China Morning Postが引用した部分はない。ということは、引用された部分、つまりミャンマー政府が「中国が反乱軍を支援している」と非難していることにPengが反論している内容は、中国国内の紙面でしか流通していないということになる。

語るに落ちたとはこのこと。つまり中国政府は、ミャンマーの批判に対して正面切って国際的に英語で反論したわけではなく、中国の国内向けに「ミャンマーはこう言っているという報道があるが、当事者が否定している」という話を中国語で、しかも紙で流したかっただけ、ということになる。この場合、彭家声は、中国政府が望んでいる内容をそのまま発言しているだけだ。だとすれば環球時報の記事は、当初狙った意図とはまったく反対に、「彭家声は中国政府の影響下にある」ということを示唆していることになる。

このズレ、この矛盾こそが、権力者のmouthpieceであることの愚かさと醜悪さなのだ。

ついでにもう一つ。環球時報の英語サイトを見ていたら、

Popularity of Japanese toilet seats overstated(2015年2月26日)

なんていう記事もあった。春節の休日で「爆買」する訪日中国人というのは日本のメディアであふれていたが、それに対する一種の反論だった。その中に、

World-class toilet seats are not what Chinese manufacturers aspire to make. “Made in China” goods must aim for higher goals.

ざっくり訳:世界水準の便座なんて、中国の製造業者が作りたいと思うものではない。「メイド・イン・チャイナ」製品はもっと高い目標を目指すべきだ。

つまり、「便座なんてものよりもっとすごいものを作るべきだ」という論法で、日本の誇る「おもてなし便座」をこき下ろしている。しかしそのことは、便座という、1日に何度もお世話になる生活に身近な製品を軽視し、「もっとすごいもの」にこそ注力すべしという内容になってしまった。この論説はかえって、中国政府による人民生活の軽視、ぜいたく品愛好を指し示すものにもなっているといえるだろう。

こんな好適なmouthpieceの例が身近にある。さて、日本のメディアはその中国メディアを笑えるだろうか。

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