図らずも露呈した弱み

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タイ国立タマサート大学で2013年に上演した演劇が不敬罪にあたるとして、タイの裁判所は23日、2人に禁固2年半の有罪判決を下した。

2 Thais Who Staged Play Found Guilty of Insulting Monarchy(AP、2015年2月23日)

判決が下ったのは、23歳の学生と26歳の卒業生。問題になったのは「The Wolf Bride」と題された劇で、内容はよく分からないが、架空の王国を舞台に国王とその顧問を描いた風刺劇だったという。2人は2014年8月に逮捕され、保釈請求を続けたが認められず、不敬罪ではよくあることだが12月には自ら有罪を認めていた。


政治的な判断に左右される判決が当たり前のタイ司法では珍しくもなんともないが、この演劇が現在の暫定政府=軍を刺激したのは、この上演が1973年事件の40周年を記念したものであり、上演されたのがタマサート大だったという2点にある。しかしこの2点が重要という観点はやはりどの記事も報じていない。

1973年10月に起きた事件は、「血の日曜日事件」とも呼ばれている。

当時は、71年に無血クーデターを起こしたタノム首相が独裁的権力をもっていた。民主化や憲法制定を求める学生らが運動を起こし、10月に全国から学生らがタマサート大学に集った。市民らも合流、20万人とも50万人ともいわれる規模にまで膨らむ。13日午後に現国王ラーマ9世(プミポン国王)が仲裁に乗り出し、学生側に一定の支持を与えるとともに、政府側には速やかな対応を促した。これをもって集まった学生らはいったん解散し始めた。

しかし14日になって、事態収拾に納得しない一部デモ隊が治安当局と衝突。催涙弾と発砲、火炎瓶と放火が相次ぐようになり、死者が多数出た。国王は再度介入し、タノム首相ら政権と軍の幹部が国外逃亡した。

つまり、1973年事件は、独裁的な権力者がタマサート大を主舞台とした民主化勢力についには追われ、多くの犠牲者を出した事件だった。しかも国王は2度の仲裁で、どちらかといえば学生側・民主化勢力に同情的な態度をとっていた。

ついでに言えば、この後1976年には、タノムの帰国に反対する学生らがタマサート大で演劇を上演。劇中、絞首刑にあう人物の顔がワチラロンコン皇太子に似ているとバンコク・ポストなどが報じ、このいちゃもんを口実として軍や警察、右翼団体がタマサート大を襲撃し、また多くの血が流れた。これは「血の水曜日事件」と呼ばれている。その後も右派による民主運動家の迫害が続いたため、多くの知識人らが東北部などに逃れた。その一部は後に、タクシン政権を支えることになる。

Lese majeste(不敬罪)を乱発して反対派を抑え込み、インラック(タクシンの妹)前首相を訴追で何とかがんじがらめにしようとしている現在の暫定政府=軍の立場から1973年事件を見ると、これほど不吉なものはないし、軍にとっては「黒歴史」ともいえる。また、「タマサート大」「演劇」、しかも「国王」にからめてあるとなると、1976年の事件を想起するのも無理からぬことだ。そこで敵対した勢力が、現下の仇敵であるタクシン側にいるとなれば、政権側がなおさら必死にもなるだろう。

従って、Guardianの「Two Thais jailed for ‘insulting’ royal family in university play」(2015年2月23日)に引用されているように、判事が、

“The court considers their role in the play caused serious damage to the monarchy and sees no reason to suspend their sentences,” he said.

ざっくり訳:「被告が当該演劇で果たした役割は、王室(ここは権力側と読み替える)に対して深刻なダメージを与えた。猶予刑とする理由は何もない」と判事は語った。

という言葉を文字通り受け取るなら、架空の王国ではあっても、「国王」が登場する演劇をタマサート大で行うことは、暫定政権=軍=タイの支配層にとって、「深刻なダメージ」であると認めたことになる。つまり、「演劇」「タマサート」「国王」は、タイ支配層にとって死活的なキーワードとなっていることを今回の判決が示している。

もうひとつ書いておくと、73年事件で追われたタノムが逃げたのはアメリカだった。独裁者が「自由の国」へ逃げたのはつまり、すぐ東側で進行中のベトナム戦争、つまり冷戦下での共産主義への対抗のためにアメリカが、ベトナム攻撃のための基地を置いていたタイで「独裁者」タノムを支えていたからに他ならない。これはタノムだけではない。近くはチリのピノチェトもそうだった。アメリカは自国の戦略に合いさえすれば、自由よりも独裁者を躊躇なく支える。だからそのアメリカが、「自由」や「人権」を口にするときは気を付けた方がいい。

今回、タイの不敬罪2人のニュースを日本語で報じたのは、24日付毎日新聞(時事電)と現地メディアNewsclip、ロイター日本語版のみ。時事電は要素のみ。他の日本メディアは黙りこんだ。タイではよくある不敬罪判決、しかも被告は名もなき若者。ネグる気持ちも分からぬではない。

しかし、タイの現代史をきちんと押さえていれば、今回の判決が、「国王の肖像画にペンキを塗った」とか「王室に批判的な言動をした」といったよくある他の不敬罪とは少し違うことはすぐに分かったはずだ。単に「いつものこと」「無名の若者」といった表象しか見ない愚は犯さなかったはずだ。

繰り返し言うが、起きたことだけを報じても「そういうことがあった」という印象以外、読み手に持たせることはかなり難しい。もっと文脈や意味づけを説明しないと、読み手は読んだ気にも、読んで得をした気にもなれない。ただそのために必要な文章量を掲載できるほど今の新聞は情報量が豊かではないし、そんな記事を書けるほど記者は「ジャーナリスト」でもない。社内政治と上司の機嫌を伺い、本社と上司に受けのいい記事しか出さない記者、現在の任地を何とか無難に切り抜ければよしとする記者も少なからずいる。

そうなのであれば、無限の空間を持つネット上で、現状に不満を持つ者がやるしかあるまい。現状のメディアと生存空間は共存するが決して交わらない、そう、それがParallel News。

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