ラオスにいったい何がないというんですか?

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豪紙The Australianに、1960~70年代にベトナム戦争と並行して行われたラオスでの戦争に関する本の書評が載った。

CIA’s role in Laos conflict explored in A Great Place to Have a War(March 25, 2017)

外交誌Foreign Affairsを刊行するCouncil on Foreign Relationsの上級フェロー、Joshua Kurlantzick氏が1月に出版していたもの。インドシナ半島情勢に詳しい人にとっては今更の内容ではあるのだが、研究や文献も多いベトナム戦争に比べれば、ラオスでの戦いはhidden warとも呼ばれるほど、一般的にはなじみがない。だから、関連研究が1冊でも増えることは、他のトピックに比べても意味は大きい。

この本の特徴は、当時の駐ラオス米大使William Sullivanをフィーチャーした点とThe Australianは指摘する。このSullivanが73年のパリ和平協定でも大きな役割を果たしたことを記事を通じて初めて知った。

共産勢力パテトラオに対する戦闘は、CIAが背後にいて、地上では主にキリスト教徒の少数民族Hmong(モン)族を使って行われ、従ってベトナムと違ってアメリカ軍が地上戦を戦うことがなく、従って米軍犠牲者も少なかったことから、米国内での関心は薄く、従って文献も少なく、従って日本の研究者や文献も少ない、という状況だ。

そればかりか米国は、国内の関心とメディアの監視がほぼないことをいいことに、わずか数年の間に、ラオス国内だけで、第2次世界大戦で使った爆弾総量を上回る爆弾を投下している。

そんな現状をレポートしたのがこちら「ラオスに残る、アメリカの爪痕」(髙田胤臣著)。

そして、そんなラオスを旅したはずだが何も見ていなかったに等しいのが、「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」(村上春樹著)。ルアンパバンの最高級ホテル「アマンタカ」とその周辺の寺院ぐらいしかぶらつかず、しかも自腹でないらしい。そんなアゴアシ付きの旅で人生を語られても片腹痛い。自分で歩かない旅から、一体どんな「文学」を生み出せるというのだろう。

むろん、村上はジャーナリストではないし、紀行文にハードな歴史を望む読者もいないだろう。しかしそれは、明治維新も敗戦も、そしてその影響も知らないで日本の現状を語るようなものであり、空疎な、そして「村上春樹の紀行文はつまらなくなった」「今までの旅行記に比べると満足度は高くない」「残念ながら思いのほか深みがない文章ばかり」「小手先で書いた印象」(いずれもAmazon書評から)と言われてしまう作品を残してしまう結果となった。

当代随一とされる作家にしてこの体たらく。腰の据わった、そして刃物のようなキレを見せる文章をいつになったらこの国で読めるのだろう。

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