ピュリッツァー賞決定

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国内メディアは熊本地震で埋め尽くされているので、逆張りで別のニュースを。

18日、本年のピュリッツァー賞が決定した。今年は賞設定からちょうど100周年。しかしそんなニュースは国内ではほぼ見られない。まあいいけど。

ピュリッツァー賞というと、ジャーナリズム対象とばかり思われがちだが、実は音楽や演劇も対象。ただ、やはり重みがあるのはジャーナリズムであることは確か。部門はかなり多くあり、以下煩雑だが受賞者を。部門名は勝手に意訳。

  • 公益部門:AP通信:アメリカのスーパーやレストランで使われる海産物が実は奴隷的労務によって調達されていることを報じ、2000人がこうした労務から解放された
  • 速報部門:ロサンゼルス・タイムズ:2015年12月にサン・バーナーディーノでの銃乱射事件
  • 調査報道(国内):タンパ・ベイ・タイムズの2記者とサラソタ・ヘラルド・トリビューンの1記者:フロリダ州の精神病院でみられた暴力やネグレクトを2社が協力して報じた
  • 解説報道:クリスティアン・ミラー(プロパブリカ)とケン・アームストロング(マーシャル・プロジェクト):強姦被害の捜査を適正に行わなかった当局と、被害者について詳報
  • 地域報道:タンパ・ベイ・タイムズの3記者:学校を工房に転換する試みに失敗した教育委員会の責任追及
  • 国内報道:ワシントン・ポスト:警察による発砲とその犠牲者についてデータベースを用いて分かりやすく報道
  • 国際報道:アリッサ・ルービン記者(ニューヨーク・タイムズ):アフガン女性の声を代弁
  • 読み物系:キャサリン・シュルツ(ニューヨーカー):Cascadia fault lineに関する記事
  • コラム:ファラ・ストックマン(ボストン・グローブ)
  • 批評:エミリー・ナスバウム(ニューヨーカー)
  • 社説:フロリダ州のサン社の2記者
  • 風刺:ジャック・オーマン(サクラメント・ビー)
  • 速報写真:ニューヨーク・タイムズの4記者、ロイターの写真記者
  • 読み物系写真:ジェシカ・リナルディ(ボストン・グローブ)

などとなっている。

これだけ多いと、どれが注目点か分からない、というのは別に米国外にいるからではないようで、Columbia Journalism Reviewが、

4 takeaways from the 2016 Pulitzer Prizes(2016年4月18日)

と解説してくれている。

まあ、ざっとリストを見ただけでも、なぜかフロリダ州がらみが多く、特にタンパ・ベイ・タイムズが国内調査報道と地域報道で受賞していることが目を引く。

もし、日本の報道機関が熊本地震に追われているのであれば、読み物系の受賞作を通じてピュリッツァー賞を報道することもできた。このCascadia falt lineとは、米西海岸沖にある断層のことで、米国人の認識は薄いのだとか。受賞作はこの断層が動けば大きな被害を起こしうると注意を喚起した記事であり、しかも書き出しは2011年3月11日の日本での情景となっている。

多くの日本の報道機関で、ピュリッツァー賞をカバーするのはニューヨーク支局のはず。今は大統領選に追われているのかどうか知らないが、熊本地震があったからこそ、それをフックに受賞の記事を書くことはできたはずだ。いや、書いたけれども東京がそれを載せなかったのか。

東南アジアがらみでは、公益報道のAP。これは、タイなど東南アジアの海でロヒンギャなどをこきつかい海産物を獲っていることや、そのために半ば奴隷取引のようなものが横行していること、そしてそこで獲られた海産物が輸出されていることを報じたもの。

Shrimp sold by global supermarkets is peeled by slave labourers in Thailand(AP、2015年12月14日)

報じられて以後、タイの軍事政権は釈明や対応に追われ、その過程で、地元の警察幹部などがその奴隷取引にかかわっていたことなども分かり、当時タイではかなり大きな話題になっていた。

東南アジアにいる特派員は、受賞を機に、「今はどうなっているか」などを報じることもできるはずだが、国際・外信面は米大統領選やエクアドル地震が大きなスペースを占めている。

そのエクアドル地震は熊本地震がらみでも取り上げやすいはずなのに、しかし現地に入っていることが確認できるのは共同通信ぐらい。かたや時事通信はサンパウロ、読売はサンパウロやロサンゼルス、朝日はリオデジャネイロ発、毎日は共同電。いやね、現場に肉薄しようとしない記者(社)はもはや、「報じる」ことを放棄したに等しいのではないのか。

安全な場所から話を聞くだけで当事者に近づこうとしないのでは、「新聞離れ」が起きるのも自明。現場にいるものでなければ書けない迫力のある記事がなければ、新聞をわざわざ読もうという気にはなりにくい。そんな文章ならある意味、私にだって書ける。外電を訳せばいいのだから。

「記者は現場に行きたいのに、会社が安全を理由に許さない」。戦場に行くのならともかく、日本の関係者もいる被災地に記者を派遣しない社があるとすれば、もう何かが詰んでいる。

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