ネパールで日本時間25日15時11分(現地時間11時56分)、M7.8の地震が発生した。震源地はカトマンズとポカラの中間あたり、ややヒマラヤ寄りの山間地のようだ。徐々に明らかになる映像や写真を見ると、歴史的な建造物や民家がまさにがれきの山と化していて、ネパールにいる知人たちの無事をひたすら祈る。
2002年に10週間、ネパールで暮らしたことがある。歴史的な建物は木組みの骨組みにレンガを組み上げただけで、最近建てられた民家も木組みが鉄筋(鉄骨ではない)コンクリートになった程度で、レンガを多用することは違いがない。つまり、耐震性はほぼないに等しい。
それもこれも山がちで資源に乏しい小国の悲哀でもある。かさばる建築資材などはインド経由で陸路の輸入に頼るが、インドは何かにつけネパールをいじめる。また雨期になるとその陸路さえ寸断され、物流が滞る。
政治と行政がきちんとしていればそれでもマシなのだろうが、政治は小党分裂でまとまりがなく、行政というか国家権力はカトマンズ盆地や他の都市部に限られ、遠隔地や山間地はほぼ自治状態だ。
こんな国で、こんな大規模な地震が起きればどうなるか自明というものだ。ニュースでは以下のカッコ内のような言説が流れている。
「外国の援助隊が空港で足止めされた」。つまり、緊急時にコマンドを取る部署も権限も行政や政治に想定されていなかったということだ。「空港が混雑したからと援助物資を断った」。物流網がないに等しいから、空輸されてもそれを分配できないということだ。「山間地の被害の実態も分からず、支援も届かない」。徒歩で片道3時間かけてしかたどり着けない山の斜面の村がいったいいくつあると思っているのか。カトマンズやポカラ、インド側の平野部を除けばそんな村ばかりだ。
復興にはおそらく長い時間がかかるだろう。そして復興しようとしても、ネパリたちはまた鉄筋とレンガで民家を建てるだろう。建てるしかないのだ。
援助物資もネパールの実情を考慮されているのかも気になる。たとえば小さな紫タマネギはネパールの食卓に必須だが、それを運んだ国際援助隊はあったのだろうか。
そしてああ愚かなこの国の首相は、援助隊の現地入りに数日を費やし、その間、得意満面で米国にいる。地震の被害の記憶がまだ鮮烈なこの国をかじ取りしていながら、この体たらくだ。「too late、too little」かつおざなりの「支援のふり」とならないのか。この首相からは心の底からの言葉が出たことがない。