「五輪出場」で失ったもの

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5月18日、リオ五輪出場権をかけたバレーボールの世界最終予選女子大会の日本対タイ戦が行われた。勝敗を決める第5セットで、「日本が奇跡の逆転」をし、タイ悲願の五輪出場がほぼ絶望的になった反面、日本は出場に一歩前進。その後、出場が決まった。

「東洋の魔女」以来、五輪出場が当たり前と化している日本チームが、出場権を得られるかどうかギリギリな程度の実力しかないことを問題視する意見は、この国のスポーツメディアではとんと見られない。それどころか、

女子バレー、タイ戦の奇跡はなぜ起きたのか(The PAGE、2016年5月20日)

などと、特にテレビでは「奇跡の逆転」を演出する記事ばかりだ。

問題の第5セットについては、スポーツ一般に興味のない私が見ていても、かなり後味の悪いものだった。初めて使われたタブレットシステムの不具合とか、チャレンジシステムの不自然さなどはいろいろなところ(時事など)で批判されている。

それにも増して問題なのは、親日的で知られるタイ国内で、アンチ日本感情がにわかに高まっていることだ。タイの監督に2度のレッドカードを出した審判はメキシコ人だし、タブレットやチャレンジも日本が決めたわけではない。にもかかわらず、タイでは日本が悪者になっている。

なぜなら、会場の運営も含め、日本にあまりにも有利な状況だったからだ。

ふだんは絶対にバレーボールなど応援していないジャニタレがわざとらしく会場で応援するほか、スポーツというよりコンサート会場のような異様な「ソーレ!」や選手名の連呼。アイドルに祭り上げられる主力選手。

こうした不自然さがなぜかを説明したのは、テレビでも新聞でもなく、FLASHだった。

女子バレー「日本は特別扱い」の訳 連盟の収入の大半がジャパンマネー(2016年5月25日)

つまり、日本が敗れ、日本のテレビ局が困ることは、国際バレーボール連盟としてもできない。日本が直接要請したわけではないだろうが、連盟側が忖度した、そんな疑惑が如実に示されたのがタイ戦の第5セットといえる。

とにもかくにも、のどから手が出るほど欲しかった出場権は得た。しかし、敗戦後のタイチームの宿舎に力戦をたたえに訪れたのは、日本選手ではなく韓国チームだった。それがタイ国内で好意的に報じられる。帰国したタイチームは、悲劇のヒロインとして国民から迎えられる。返す刀で、日本はずるい国として人々の心に刻印される。「五輪出場」の引き換えになったのは、これまで日本が、日本人が長く必死の思いで築いてきた「信用」の失墜だった。

そこまでして、「五輪」がほしいのだろうか。力を尽くしたけれど敗れる、その美しさを最も称揚する(と自称してきた)のが、日本のスポーツだったのではなかったのか。

シンボルマーク、メイン会場デザイン、裏金、ホストである都知事の着服。そんな疑惑というかケチばかりついている2020年東京五輪も含め、日本における五輪とはつまりビジネスであり、スポーツではない。

こんな国にだれがしたのだろうか。

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