ミャンマーの有名なKyaiktiyo Pagoda(チャイティヨー・パゴダ)。1日の日テレ系「世界の果てまでイッテQ」でも紹介されていた、今にも落ちそうな金色の岩がある山の寺だ。ここにミャンマー初のケーブルカーを来年に設置すると韓国企業が表明した。
Sky Asia pushes for Myanmar’s first cable car project(Korea Herald、2015年2月23日)
スカイ・アジア社CEOへのインタビューによると、50年の建設・運営・受け渡し契約を2014年12月に獲得.
ミャンマーのAsia International Fisheries社とのジョイント・ベンチャーで事業を行う。事業費は2000万ドル。
これだけ読めば、ああそうなので終わる話だが、インタビューでCEOは興味深い指摘もしている。
“Back in 1990s, Kolon and Daewoo were the only two Korean companies running a branch in Myanmar,’’ he recalled. (中略)
“Korean firms tend to prefer government-sponsored, low-risk projects for stable financial gains, but emerging markets like Myanmar are looking for long-term investors, who think of not only financial gains but also social contribution,’’ Yoo said.
ざっくり訳:1990年代にミャンマーで支店を持っていた韓国企業はコロン(このCEOが当時所属)と大宇のみだった。(中略)韓国企業は、政府が支援し、リスクが低いプロジェクトを好み、安定的な収益を得ようとするが、ミャンマーのような新興市場では、長期投資が求められており、収益のみならず社会的な貢献があるかが考慮される。
ミャンマーが軍事政権だったこの時代、欧米は経済制裁を課していた。日本は立場が違うはずだったがしかし、新規の円借款を行わないなど欧米の顔色をうかがう政策しかとってこなかった。このため2011年までのミャンマーには、かつての債権を取り立てるか、小規模な縫製業や製造業の工場を運営するか、どちらかの日本企業しかなかったといえる状況だった。
2011年以後、ではどうなったか。スカイ・アジアと同様に、「政府支援がなくリスクも高い」「収益だけでなく社会貢献になる」プロジェクトに積極参加しようとする日本企業がどれだけあるだろうか。空港や港湾、道路や橋は確かに重要な社会インフラだが、あまりにも重厚長大、あまりにも伝統的な事業だけに偏ってはいないのか。
窮屈だった当時のミャンマーで、しかししぶとく人脈を築き歯を食いしばって踏みとどまっていた日本人ビジネスマンたちの顔が浮かぶ。彼らの踏ん張りを生かせるこの好機に、さて企業という社会的存在は今、ミャンマーでどう活動しているのだろうか。そんなレポートを読みたいのだが、日経には提灯記事しか載らない。バンコク駐在記者は今、ヒマなのだから、1週間でも2週間でもミャンマーに張り付いて、地に足がついた記事を書けばいいのに、と思う。