紋切り型報道の陥穽

ミャンマー軍とコーカン族反政府勢力との武力衝突は依然続いている。これまでは中国の関与が疑われる程度だったが、一歩踏み込んだ事態が3月8日に起きた。

ミャンマー武力衝突で中国側に着弾(共同通信、2015年3月10日)

日本のテレビでもおなじみ、中国外務省のあの男性報道官が、8日に流れ弾が中国側に着弾し、民家が破壊されたが、けが人はなかったという内容を10日の記者会見で発表した。

この共同電に不都合はまったくない。確かに報道官はそう述べたのだろうし、それを正確に伝えたのだろう。しかし、報道官がそう述べたことは確かに事実であっても、それが現場で起きたことと相違ないのか、また報道官のコメント「のみ」を報じることにどれほどの重みがあるのか、という点については、この記事は欠点だらけだ。

たとえばこんな記事がある。

Myanmar bombed Chinese village(Washington Times、2015年3月12日)

共同電、つまり中国外務省報道官は「流れ弾」としているが、Washington Timesは見出しからして「爆撃」と意図的な攻撃であったことを打ち出している。記事の中でも、

A Myanmar government MiG-29 fighter plane on March 8 flew over a Chinese village in the border province of Yunnan and dropped a bomb on a house believed to be a safe haven for the Kokang rebels.

ざっくり訳:ミャンマー軍のミグ29戦闘機が8日、国境にある雲南省の村上空に現れ、爆弾を1発を、コーカン反政府勢力を匿っているとされる家に落とした。

ときちんと書いており、「流れ弾」というには無理があることが分かる。そして記事の最後に、共同が引用したのと同じ報道官の発言を載せている。この記事によって、中国は自らの関与が明白になるようなことはできないから、あえて「流れ弾」、つまり偶発的事件と発表したのだろうということも分かる。

ここまで分かれば、共同電が報道官の発言のみ報じたことは、発言自体は事実であっても、まったく事実、つまり実際に起きたことと異なるどころか、実際に起きたことを中国側の都合のいいようにしか報じていないという大きな欠点が見えてくる。

むろん、ふだん北京にいる特派員らが雲南省まで出張っていってミグ29の目撃情報を探すような時間はないのだろうし、この事件に精力を傾けるに値するほど「東京本社のウケがいい」とも思わないのだろう。だから、自らはオフィスに閉じこもり、中国人助手を会見に行かせて、そこで出た話を右から左に、中国語から日本語にするだけで、「事実」を報じようとするのだろう。

だがしかし、少なくともWashington Timesは、中国の公式発表に事実の反証を挙げて論駁する記事を書けている。どうして共同通信にはそれができなかったのだろうか。ジャーナリストとして記者として、自分は何を伝えるべきか。何のために記者の仕事をしているのか。その立脚点が何か根本から違う気がしてならない。

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