彭家声という人物

ミャンマー北東部、中国に接し、中国系住民が多いコーカン地方で、ミャンマー政府軍と少数民族グループの戦闘が起きている。2月17日にはテイン・セイン大統領が民政移管後、初めてとなる戒厳令を発令したこともあり、珍しく日本の新聞やNHKも報じた

しかし、起きた表層的なことは伝えても、その底流に流れるスジや人間を報じないのはいつも通り。通信社として速報が主体のロイター通信でさえ、もう少しマシな記事を書いている。

Myanmar urges China prevent rebel attacks from across their border(Reuters、2015年2月19日)

今回の騒動をロイター電を元にまとめると、

  • ミャンマー軍と、反政府の「Myanmar National Democratic Alliance Army (MNDAA)」との間で武力衝突が始まったのは2月9日
  • ミャンマー側によると、19日までに政府軍50人以上、反政府側27人が死亡した
  • 衝突のせいで、住民約3万人が国境を越え中国側に逃げ込んだ

ここまでは日本の記事にもあること。しかしここで終わっては、「なぜ今、反政府側が攻撃を始めたのか」「MNDAAとは何なのか」がさっぱり分からない。

ロイター電は続ける。

  • MNDAAの母体は、中国から支援を受けていたミャンマー共産党。1989年に分裂した
  • かつてMNDAAは中国系のPeng Jiashengに率いられており、政府側と休戦していた。しかし2009年に政府側の攻撃で追われ、この際には中国系住民数万人も中国に逃れた
  • Pengは最近、コーカンに戻ってきた。これが騒動の火種となった
  • 国営紙によると、このコーカンの中国系のほか、Ta’ang、Kachin、Shanの3つの少数民族系武装勢力も政府軍への攻撃を始めた
  • ミャンマーは中国に対し、Pengを引き渡し、武力衝突をやめさせるよう求めている

さらに事前の知識として、ミャンマーが軍事政権時代、つまり諸外国からの支援をほとんど期待できない期間、人権や民主主義はお構いなしの中国がずっと支えていたという事実、しかしミャンマーが民政移管して以後、欧米との接近が始まり中国との間柄はぎこちないものになっていたという事実を知っていれば、今回の騒動の「スジ」は見えてくる。

ミャンマー政府はあからさまには言っていないが、中国がミャンマーに対する嫌がらせ、治安の不安定化をするためにPengをコーカンに戻したとみていることが分かる。他の3民族武装勢力が同時攻撃してきたのも、中国による差し金とミャンマー政府がみていることも想像できる。

さらに腰を据えて報道するFinancial Times(検索結果の一番上。無料で閲覧可)は、この動きが両刃の刃だと指摘する。

たとえば、

The influx of refugees “aggravates China’s negative outlook for the prospects of security and stability in the region.

とか、

The situation puts Beijing on a fine balancing rope.

などと表現している。では真実はどこにあるのか。国境の両側で取材するしかあるまい。しかし、ミャンマー専門記者という人はほとんどいないし、中国に詳しい記者は北京や上海、香港を離れず、空港も鉄道もないこんな辺境の山奥に行ってドンパチから逃げた人々の話を聞いて回るようなこともしない。中南海を取材することこそ「中国取材」と考えているからだ。

仕方ないので、ネットで自分で情報を集めるしかない。

先のFTはこうも書いている。

Mr Peng was once a conduit for Chinese intervention in Myanmar’s many ethnic conflicts, in his former role as commander of the military wing of the Beijing-backed Communist Party of Burma which fractured in 1989. He abruptly lost Kokang to a Myanmar military offensive six years ago, amid a broader effort to exert central government control along the border, and some analysts believe he and his troops retreated across the porous border into China.

ざっくり訳:Pengはかつては中国によるミャンマーにおける少数民族紛争を使った干渉の手立てであり、中国が支援するミャンマー共産党の武装部門の司令官を務めた。6年前のミャンマー政府軍の攻勢でPengはコーカンの支配権を失い、その後、彼とその部隊は国境を越えて中国に逃げたとされている。

今回の「コーカン騒動」で中心となっているPengこと、彭家声(Peng Jiasheng、ペン・ジアシェン)という人物をさらに知る必要があるようだ。2009年時点での記述ながら、その背景を知るのに最も詳細かつまとまっているのは、Irrawaddyの「Who Is Peng Jiasheng?」という記事だ。読めば「Lo Hsing-han(ロー・シンハン)」という麻薬王も出てくる。そして、Asia World Companyという企業も。ミャンマーのことを少し知っている人なら、敏感に反応してしまう名前ばかりだ。

と、ここまではミャンマーや、中国をめぐる国際情勢、東南アジアの事情に興味がある人向けの内容に思われがちだが、しかし、このコーカン地方では、JICAが「シャン州北部地域における麻薬撲滅に向けた農村開発プロジェクト」(2014~2019年)を行っている。ミャンマーに参入しようとする日本企業は、Asia World社やその関連会社との付き合い方も知らねばならない。欧米の経済制裁の対象となっていた社だからだ。つまり、日本や日本人にも、遠いようで遠くないのが「コーカン騒動」なのだ。

何もここまで全てを記事で書けとは言わない。しかし、おそらくこうした背景をほとんど知らず、通信社や現地メディアが流した速報をつまみ食いして足し合わせ、単に和訳しているだけの新聞記事がいかに多いことか。そして、情報があふれていることに満足し、もしくは辟易し、情報が実は不足している一隅を自分の手で目で足で見つけようとする消費者がいかに少ないことか。

ネットが普及し、「知らない」では済まされなくなった。知ることができるのに「知らない」のは、知る努力をしていないことの証明だからだ。そんなネット社会を住みよいと思うか、住みづらいと思うか。それもまた自分にかかっている。

3件のコメント

  1. なぜか2月24日になって、朝日と産経が同時にコーカンに関する記事を掲載した。

    朝日は「ミャンマー戦闘 2週間120人死亡」とコーカンから120キロのラショーに記者が入り出稿した。添付の地図に「コーカン」の文字がないのが情けなさすぎるうえ、キーパーソン彭家声についてはまったく言及なし。とはいえ現場に近い場所に行こうとした意欲と、JICA職員について書いた点は買える。

    産経は北京から中国側の見方を書いた「ミャンマー戦闘で中国雲南省に難民流入 中国政府、世論に介入迫られる」。ネットの反応というお手軽さではあるが、「コーカン地区は中国にとっての『クリミア』で、中国もロシアに見習って併合すべきだ」という声を載せており、それはそれで独自性があって興味深い。

    2社が同じ日に記事を掲載するのはたまたまか、それとも何かあったのか。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です