ミャンマー国軍のトップ、ミン・アウン・フライン総司令官が再任されると現地紙などが伝えている。
たとえばロイターは、
Myanmar army chief to get five year extension as talks with Suu Kyi continue-media(2016年2月13日)
と打っているし、それを加工したと思われるパキスタンのThe News Internationalは14日にさらに分かりやすく報じている。
国軍報道については定評のある現地紙Voiceが、軍情報筋の話として伝えたのが発端らしい。
ミャンマーでは、昨年11月に総選挙がありそこでスー・チー率いるNLDが圧勝したことで、4月1日に政権が交代する見通し。その政府を選ぶ議会が2月1日に開会しており、3月17日には大統領を選ぶことになっている。混乱のない政権移譲に向けて、軍主導の現政権と、スー・チー側NLDが交渉を続けており、そのさなかの今回の報道ということになる。
今回の「再任」について、日本の新聞はまだ伝えていない。従って、この「再任」が何を意味するのかも日本の多くの読者には伝えられていない。
もっぱら日本の新聞が興味を持つのは今も変わらずスー・チーだけ。そのスー・チーはどうしても大統領になりたいのだけれど、現憲法の規定で外国国籍の家族を持つ人物は大統領の資格がなく、息子がイギリス国籍のスー・チーはだから、大統領になれない。
先述の通り、先の選挙でNLDが大勝したのだから、そのトップであるスー・チーが大統領になるのが、議院内閣制の日本にいる人から見れば当然に映る。しかし憲法の規定でなれない。では憲法を改正するかといえば、改正には軍が事実上の拒否権を持っていて、軍は改正に反対と伝えられている。つまり改正もできない。そこで、大統領の資格に関する憲法の条項を「停止する」という案もあるやに伝わってきている。そんな交渉を軍とスー・チーは行っているのかもしれない。
ミャンマー国軍は、少し前までは集団指導体制であるとされていた。それが今もそうであるなら、ミン・アウン・フラインの再任は、軍上層部の支持を現在も彼が固めていることの証左になる。彼一人で決断することはできないが、彼の決定はつまり、軍上層部の意向であることは間違いない。軍が相変わらず憲法改正や一部条項の「停止」に否定的であるならば、今回、スー・チー大統領の目はない。
スー・チー側にしたところで、「民主」をスローガンにしてきた自らの経歴を顧みれば、憲法停止などという姑息な手段でいいのかという疑問符もつく。現憲法は仮にも、国民投票で信任されているのだ。
スー・チーが将来に可能性を残し、今回は別のNLD幹部が大統領になるのか。そうなればなったで、この人物はスー・チーの傀儡というレッテルを貼られ続ける。
いや、いっそ軍が思い切ってスー・チー大統領を認める方向に舵を切るのか。仮にそれが実現しても、国際的にはロヒンギャ問題でその「民主」の看板に疑問符がつけられ、国内的には反中国姿勢を鮮明にしなかったことで多数派ビルマ族から愛想をつかされかけているスー・チー。スー・チー幻想が残る日本では、こんな記事もまだ見られるが、現地の記者としてはこうでも書かないと、東京で作られる紙面に大きな面積を割いてもらえないという苦渋もある。
かくして、「スー・チー幻想」は拡大再生産され続ける。だれかが一方的に悪いわけではないが、「違うんじゃないか」という視点を提供する記事なり識者なりが顕在化しない限り、拡大再生産は歯止めがかからないだろう。