タイ・バンコクの北、パトムタニ県(日本で言えば埼玉県)にあるタンマガーイ(Dhammakaya)寺が、強引な寄付を集めたり、出どころの怪しい金を受け取ったりしていると非難され、6億8400万バーツ(約240億円)を返還することになった。
Thai Buddhist temple to repay US$20m in donation scandal(Channel News Asia、2015年3月17日)
この寺は、資金が豊かであることでも知られ、寺院そのものも超近代的かつ大規模な、別の意味でいえばフォトジェニックな建物。この6億8400万バーツは、地元のKlongchan Credit Union Cooperativeの前理事長が、横領で追及された後に寄付されていたもので、寺は「そんな汚い金とは知らなかった」と言っているという。
タイの仏僧といえば、妻帯もせず、厳しい戒律を守っている人がほとんど。それゆえに、徳が高いとして有名な高僧は一種のアイドル的な人気も誇る。バンコクのタクシーに乗れば、仏僧の写真をありがたく車内に飾っている運転手に高い確率で会うし、そんな運転手が寺の脇を通るたび合掌して短く祈る(そして乗客は少し肝を冷やす)場面も多くあるはずだ。
俗世間から隔離された仏僧たちだから、たとえば政治家で責任を追及されるなどして逃げられないと悟ると、いきなり仏門に入り、その追求をかわすという手も使われる。仏門に入れば、俗世間の官吏の手にはかからないというわけだ。
しかし近年、そんな「特権」をいいことに私腹を肥やす僧も出始めた。引用した記事によると、
Thai monks have been hit by a series of scandals in recent years including corruption as well as drug-taking, drinking, gambling and visiting prostitutes.
In September 2013 authorities said they had seized nearly US$800,000 worth of assets, including a Porsche and a Mercedes-Benz, from a monk who was disrobed for a controversial trip in a private jet.
ざっくり訳:タイの仏僧は近年、一連のスキャンダルに襲われた。中には、ドラッグ使用や飲酒、ギャンブル、買春などもあった。2013年9月には、ポルシェやベンツなどを含む80万ドル(約1億円)の資産を当局に没収された僧もおり、この僧はプライベート機で旅行したとして論争の的になり、僧籍を剥奪された。
と、庶民の信頼を失うような事件も多く起きている。さらに、このタンマガーイ寺そのものも、wikipedia英語版によれば、
In 1999 and again in 2002 the temple’s abbot was accused of charges ranging from fraud and embezzlement to corruption.
ざっくり訳:1999年と2002年に、この寺の僧は詐欺や横領、汚職などを行っていると非難された。
こともあったという。
今回のタンマガーイ寺の件を対外的に報じたのはAFPぐらい。タイでは大きな話題になっていたが、国際的には、そして日本ではほとんど報じられていないともいえる。「タイの国内問題」「私は無宗教だから」といういつものメディアの無関心がそうさせているのだろうが、少し調べれば違う側面も見えてくる。
この寺を母体とする団体が、東京(三河島)や大阪、名古屋、長野など各地で同名の寺院を運営している。多くは在日のタイ人向けだろうが、日本語のページもあり、まったく日本や日本人と関係がないわけではない。
むろん、タイのタンマガーイ寺が今回の事件でクロと確定されたわけでもないし、日本の同名寺が同じ疑惑をかけられているわけでもない。しかし、タイや仏教そのものには近しい関係がある日本で、メディアが一行も記事にしていないのはかえって不自然ではないか。
日本のメディアでは、海外に拠点を持っていてもそこで得たニュースを国内の影響と合わせて紙面展開することは、よほどの大事件か形而上の重大事か日本人が関係する事件でないと行わない。つまり、同じ社であっても、取材セクション同士の横連携はかなり弱い。だから、国際的な事件であっても国内の読者の興味をひくような「フック」を記事に盛り込めず、結果、読者の国際ニュース離れを招く。生身の証言や現地のにおいや風を感じられるレポートが少なくなったことも合わせ、日本メディアの現場力、日本メディアに所属する記者の想像力が乏しくなってきたような気がしている。