スノーデンの警句

パナマ文書問題でかなり影の薄くなった感のあるエドワード・スノーデン。彼を扱った本 「Journalism After Snowden: The Future of the Free Press in the Surveillance State」(ざっくり訳:スノーデン後のジャーナリズム・監視国家における報道の自由の行方)を今年、出版するというThe Tow Center for Digital JournalismEmily Bell氏が、2015年12月に行われたというスノーデンへのインタビューを一部先出ししていた。

Snowden interview: Why the media isn’t doing its job (Columbia Journalism Review, 2016年5月10日)

7554字というかなり長文だが、スノーデンが言いたかったことは冒頭に書かれている。

One of the most challenging things about the changing nature of the public’s relationship to media and the government’s relationship to media is that media has never been stronger than it is now. At the same time, the press is less willing to use that sort of power and influence because of its increasing commercialization.

(ざっくり訳:人々のメディアに対する関係性、また政府のメディアに対する関係性を変える際に最も大変なことは、メディアは現在、かつてないほど強力であるという事実だ。しかし同時に、メディアはますます商業化する傾向にあるため、この一種の「力」や「影響力」を使うことにますます奥手になっている)

特に2文目の「At the same time」からが本稿の主眼だろう。よくメディアを批判する人は、政府が情報統制をしているからとか、メディア自体の力が弱まったとか言うが、スノーデンの見方は違う。

メディアはかつてないほど強力なのに、その力を自己規制してしまい、期待されるほどに使っていない、というのだ。

その一例として、スノーデン同様、whistleblowerとして無人攻撃機の政府内部の情報を暴いた「The Drone Papers」があったのに、ニューヨーク・タイムズなど主要紙がこれを無視したことなどを挙げている。つまり、どんなに重要なニュースであっても、自社が発掘したものでなければ取り上げないか取り上げても小さくするという問題がある。他社のスクープを追いかける際も、そのスクープに対する否定発言を大きくするなど、むしろ「Instead, we’ll try to “counter-narrative” it」する傾向にあるというのだ。

これは何も米英のメディアに限らない。スクープを競うメディアにいれば多かれ少なかれあることだろう。

都知事の一連の疑惑をめぐる報道を見ればよい。アベノミクスに対する報道を見ればよい。川内原発や普天間基地をめぐる報道を見ればよい。メディアに「自己規律」は必要だが、それは「自己規制」を意味するものではない。権力を監視できないメディアは、報道機関というよりはむしろ機関紙・機関局であり、「報道」を掲げるべきではない。

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