炎天下のツールスレン

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カンボジアの首都プノンペン。東側を流れるメコン川と、西側にある空港に挟まれた市街地。その一角のごくありふれた街角に、ツールスレン(Tuol Sleng)は残されている。

1970年代後半、クメール・ルージュ(ポル・ポト派)が反対者らを投獄し、拷問し、虐殺した収容所跡だ。高校の校舎を改造した「獄舎」は今、虐殺を後世に伝える博物館として保存されている。

そこに26日、慰霊塔が建立された。

Cambodia inaugurates memorial at Khmer Rouge genocide museum(AP、2015年3月26日)

式典に参加したソク・アン副首相は、

He said the 6-meter (20-foot) -high memorial, designed like a Buddhist stupa, will “serve as an educational tool for the next generations to remember and prevent the return of such a dark regime.”

ざっくり訳:高さ6メートルあり、仏塔を模したこの慰霊碑は、「次世代があの暗黒政権を忘れず、再来させることのないようにする教育的なツールの役割を担う」と副首相は語った。

もう40年も前。1975~1979年のクメール・ルージュの時代に、当時のカンボジアの総人口の4分の1にあたる約170万人が死に追いやられたと推計されている。記憶に新しいルワンダ内戦などでは「decimated」、つまり10人に1人ほどの殺戮で大虐殺と呼ばれたのだから、いかにクメール・ルージュの行為がひどかったかが分かる。このツールスレンには1万2272人以上が収容され、生き残ったのはわずかだった。

カンボジアといえば、「貧しい国」「日本が援助すべき国」と一般的には認識されているだろう。しかしその国でさえ、自国のつらい過去を直視し、次世代に教訓を残そうとしている。

APの記事にはドイツ大使が写っていた。ナチスの教訓をドイツは忘れないとのメッセージを世界的に発信するためだろう。日本は、太平洋戦争の教訓を忘れないと言うはずの立場であり、クメール・ルージュの犯罪を裁く国際法廷に多額の拠出をしてもいるのに、大使が式典に参加したとの記述はAP記事にもなければ、日本大使館のサイトにもない。参加していないのか。だとしたら、何のための大使なのだろう。そして日本のメディアはそのことも報じないし、特別法廷で2人が新たに被告になったことも報じなかった。だとしたら、何のためのメディアなのだろう。

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