アメリカにとっての8・15

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日本にとって毎年の8・15がある特殊な感覚を呼び起こさせられるように、同じような日付がアメリカにとっては4・30となる。1975年のこの日、アメリカは建国以来初めて外国に屈服させられた。それも東南アジアの片隅の小国、ベトナムという国に。

従って、日本のメディアが8・15が近づくにつれ戦争関連の記事を多く流すようになるのと同様、アメリカのメディアも4・30に向け、ベトナム戦争に関係した記事を多く発表する。

その中で、今も残る問題なのになぜか日本のメディアではすっかり忘れたようになっているAgent Orange(枯れ葉剤)の記事を紹介する。

THE TOXIC LEGACY OF CHEMICAL VIOLENCE AND ITS UNMOURNED VICTIMS( Arwa Awan、Diplomacist、2015年4月3日)

日本の敗戦後、現在のベトナムは南北に分かれ、北は共産主義、南は資本主義を掲げ、対立した。ちょうど朝鮮半島が南北に裂かれ、北が北朝鮮、南が韓国になったのと同じ状況で、北を当時のソ連が、南をアメリカがバックアップしていたのも同じだ。

物量にものを言わせる米軍は、ちっぽけな北ベトナムなどすぐに制圧できると考えていたが、北は、ジャングルを利用したゲリラ戦術で米軍に対抗。このあたりはハリウッド映画でもよく描かれていて、「ディア・ハンター」「地獄の黙示録」「ランボー」「プラトーン」「グッドモーニング,ベトナム」 「フルメタル・ジャケット」「7月4日に生まれて」などがある。

ゲリラ戦術に悩まされた米軍は、「じゃあ、ジャングルをなくせばいいんじゃね?」と考えたのだろう、木々を枯らせる薬剤を空中などから散布し始める。その薬剤の代表的なものがAgent Orange(オレンジ剤)だ。そしてそれを作っていた代表的な会社が、ダウ・ケミカルだ。

葉を枯らせるだけならよかったが、薬剤の中に猛毒ダイオキシンが含まれていた。当然、空中から散布された薬剤をかぶった人、薬剤のついた草木に触れた人、後に川の水を飲んだ人、ジャングルになった果物を食べた人などの体内にダイオキシンが取り込まれ、種々の障害をもたらすことになる。

ことはベトナム人にとどまらなかった。散布のため基地で薬剤の積み込み作業をした米軍人らも、地上のベトナム人と同様の障害を訴えた。

記事によれば、

Nearly four decades after the end of the Vietnam War, the devastating legacy of Agent Orange, linked to a variety of debilitating illnesses including various cancers, birth defects and psychological disorders, continues to haunt thousands of US veterans as well as the Vietnamese population and ecosystem.

ざっくり訳:ベトナム戦争が終わって40年になろうとするのに、枯れ葉剤による深刻な影響は、各種の癌、胎児の異常、精神的障害などを引き起こし、ベトナム人やベトナムの国土と同様、数千の米退役軍人をも悩ませている。

このため、1984年には訴訟を取り下げることを条件に、主要製造メーカー7社が1億8000万ドル(現在の為替で約200億円)を補償することで合意。1991年にパパ・ブッシュがAgent Orange Actを成立させ、地上で働いた元軍人へ救済の手を差し伸べた。そして今年、The Blue Water Navy Vietnam Veterans Agent Orange Act法案が審議中だ。これは海軍などを対象にしたもの。

それなのにアメリカは、ベトナム人やベトナムへの補償は頑強に否定している。あからさまなダブル・スタンダードだ。修正論者が、「日本の侵略はなかった。むしろ列強の植民地支配から解放してやったのだ」というのと似ている。

記事から、そのあたりのくだりを長くなるが引用しよう。

While the US government consistently downplayed the effects of the employed chemical defoliants as harmless and short-lived, recent evidence has shown that the military was cognizant of the deadly consequences of the dioxin contaminant. Not only that, but the military also failed to make use of available techniques that could have minimized the toxicity of the herbicides, used in concentrations 25 times the recommended limit. In fact, as early as 1965, the Agent Orange manufacturer Dow Chemical Company knew that the dioxin contaminant in the defoliant was “one of the most toxic materials known,” and as an Air Force scientist wrote to Congress in 1988, “because the material was to be used on the ‘enemy,’ none of us were overly concerned.”

ざっくり訳:米政府は、散布した薬剤による影響について、無毒であり、(毒が)あっても短期的なものにすぎないといつも過小評価してきたが、最近わかったことによると、軍はダイオキシンによる致死的な影響について知っていたのだ。そればかりでなく、基準の25倍という濃度で使われた有毒な薬剤(=枯れ葉剤)による被害を最小化するために行い得た技術を使うことも軍はしなかった。事実、1965年にはメーカーのダウ・ケミカル社は、枯れ葉剤に含まれるダイオキシンが「これまで知られた中で最悪の毒性を持っている」ことを知っており、1988年には空軍の科学者が「枯れ葉剤は敵(=ベトナム人)に対して使用されたため、だれも懸念をいだくことはなかった」としていた。

関係者は「最悪の毒性」を知ってはいたが、それは「敵」に使うのだから問題ない。こういう政治家、科学者、軍人の不作為には、空恐ろしい非人間性が潜んでいる。「問題ない」とは思っていたがアメリカ人には被害が起きたから、それは賠償する。しかしベトナム人については知らない。そんな二面性には、善意や誠意、人間としての当たり前の「落とし前」すらかなぐりすてた「国」「権力」という名のデーモンが闊歩している。

1995年、ドイモイ(刷新)という名の市場経済化を進めたベトナムと、民主党クリントン大統領のアメリカが国交回復を行った。それまでの交渉でベトナムは、枯れ葉剤被害の賠償などいわゆる「戦後賠償」を行う動機も権利もあったはずだが、あくまで認めようとしないアメリカと、まずは折り合う道を選んだ。そこにベトナム指導部の苦渋の決断があったはずだ。

であれば、今度はアメリカがmoral burdenを負っているはずだ。しかし、アメリカ中華主義の中心であるワシントンの議会が、ベトナムに何か手を差し伸べることはこれからもないだろう。国といえば強く、正しく、守るべきものといった幻想を抱く輩は、威勢よくがなり立てるばかりだが、その国が、弱く、間違っており、変えるべきものだといった思念には至らないらしい。

8・15で頭を垂れるだけでなく、近く到来する4・30も他山の石として、今一度考えてみるがよい。

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